先月26、29日と手作り「透明ラジオ」のワークショップが終わった。因みに25日は都内のホールにてコンサートのライブ録音だった。 WSには夏休みの自由研究にする子供たちが沢山来た。一昨年はペットボトルの鉱石ラジオ(ゲルマラジオ)だったが、会場の電波状態が芳しくないためビルの屋上に出て動作チェックをした。
私の子供の頃(昭和30年代)とは桁違いにビルが建て込んでいるので屋上ですら1局しか聴くことが出来なかった。 それで今回からはゲルマとは構成の異なる電池式ストレート方式のラジオにしてみることに。
昔はゲルマでも(私の生まれ育ったのは北千住)そこそこ受信出来たし、子供はもう寝なさい、と言われて(昭和30年代の子供は寝るのが早かった、、、毎日外で駆けずり回って遊んでいたし、子供の時間は夜8時、せいぜい9時までが相場だった)布団にもぐりこんでからアンテナ線をのばせば、混線しながらも海外放送等も聴こえたものだ。
それを聴きながら遠く異国の地に思いを馳せた記憶がある。また、アンテナ線やラジオを色んな向きに向けてみたり、家の中の何か金属の部分に付けたり、電灯線のコードなんかに巻きつけると感度が良くなるのを見つけたりした。日によって良く聞こえたり、聞こえなかったり。一日のうちでも時間帯によって変わり、上空の電離層や太陽フレアの状態によっても変化する。つまり、電波状態の良い場所やよくなる方法を探す楽しみがオマケで付いていて、自然界について考えることも出来たのだ。
科学の力をいくら使おうと自然の力のほうが遥かに壮大で凄いんだな、って感じたもんだ。
今はと言えば、AMもFMも、TVもバッチリ入る薄っぺらなカード型の小型ラジオが安価で手に入る。選局もダイヤルで同調するのではなく1発選局になっていたりする。思えば、ダイヤルを回して一番受信状態の良い所を探すというのはスリリングだったし、音に対して集中しながら操作をする、という点ですでに私の仕事(レコーディングエンジニア、機材製作)は決まっていたのかも知れない。
物を作るという作業は単に部品を買ってきて設計通りに組み立て、音が出ればバンバンザイ、チャンチャンということではない。例えば、内部配線の引き回しはこういう風にしてみよう、此処はこうしたらどうなるかな、というような想像力と創造力を必要とし、身に付けた技術力を駆使して作り上げていく。そして実際に聴く場面においても想像力と創造力を刺激されることになる。
先程何故、「バンバンザイということではない」と言ったかといえば、初めてラジオを作って上手く鳴ってしまうと、大体の人が 良かった!出来た、出来た!で終わってしまうからである。 むしろ、音が出ない、何も聴こえない失敗作のほうが作り手にとって幸いなのである。
えー、なんで!そんなことはないでしょう。 と思われかも知れないが、物事はスンナリ行かないで問題があった方が自分のためになる。なんで、何も聴こえないんだろう、、、と最初は途方に暮れても、クソー、なんとかしてみるぞ! と、よく判らないながらも あれこれ原因を考え、手直しして、やっと音が出た時、ラジオが聴こえてきた時、その喜びと共に、そこにスタートラインが引かれているのを見ることが出来るだろう。
まあ、最初は理屈も解らず、楽しく作って、ラジオが聴こえればOKである(笑)
だけどもし音が出ない場合に、 なんてラッキーなんだ!って思えたらいいね。
●今の子達にも書物からだけでなく、自然から、宇宙から、色んなこと感じて欲しい。
山や海、川と、自然の中に入って遊ぶことも本来、そういうことだと思う。遊んではいるんだけど、そこには人が暮らし、自然界と折り合いをつけながら動物や植物と共に生きて来た歴史がある。人間だけが特別な存在じゃないということを。
音響工房アナログ式 http://analogmode.jimdo.com
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