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2006年11月19日 (日)

「1980.12.31」 前編

■雪こそ降ってはいなかったが風が冷たい日だった。
歴史ある新宿ACB会館ホールでのライブ録音。当時の日本のパンクムーブメントとニューウェイブの先頭を切っていたバンドのギグが夜通しで行われ、その演奏を録ってLP2枚組みの実況録音盤で出そうということだった。(実はこの録音のMIXも終わり、あとはカッティングをどこでやろうかと言う矢先に幻となってしまうのだが、、、)10バンドの出演が予定されていたが、当日になって(財団法人じゃがたら)が来れないことになった。あとは遠藤みちろう率いるスターリン、S-KEN、Mシリーズ吉野大作&プロスティチュート、午前4時、、、、あとは忘れちまった(失礼)
■前もって制作会社、事務所のスタッフとの打ち合わせは済んでいたので当日15 頃。録音機材の搬入及びセッティングを開始。
   ところが!ところがである、、、
   PA側とはステージ上でアタマ分け(※1)、ということになっていたのだがマルチケーブル等が足りないだけでなく、PA側スタッフは録音スタッフや機材が入ると聞いていなかったのだ!!!仕切っていた事務所の人間にこちらの要望を伝えて、あとのことは任せてあったのだが。
   兎に角、何が何でも仕事に穴は開けられない!ってんで遠藤氏(スターリン)も挟んでPAのチーフと現場で交渉、また交渉。すったもんだのあげくPAのシステムを大幅に変更して何とか録音スタンバイ!と相成った。
■当時、本当の意味でのインディーズレーベルはどこも金が無かったと思う。予算のないライブ録音のシステムは卓、MTRともタスカム(TEAC)のM5+M5エキスパンダーとハーフインチ8トラック(ゴメン型番忘れた)を使った。モニターはAURATONE 5C(予算に余裕があるときは今は亡きシミック2408AV卓とスチューダーのテレコ 等をレンタルした。
最近私は卓にマイダスを使うことが多い。低価格なREV7やSRV2000が登場する前で、リバーブにはAKG BX10,15等もよく使った。鉄人28号操作マシンのようなEMT250デジタルリバーブは\4,000,000近かったのだ!デジタル機器の黎明期なので、今とは比較にならない程の低い性能でも非常に高価だった。レキシコンΔ200なんかはタップが幾つか付いただけのディレイマシンで\2,000,000もした。)
■トラック割りはタイコ2、EB1,EG2、KEY他2、Vo1だが基本は2ch一発録音(※2)でありMIXで全体を整えるということにした。タイコは4点録りでBD,SN,OHに2本。(余談になるけどタイコ(ドラムセット)はマイク1本でも録れるがあとは2本、3本と追加していって今回の4本での録りになる。
   このライブ録音の少し前にスターリンのスタジオ録音を2回やっていたので他のバンドも含めエンジニアである僕自身がこのライブを非常に楽しみにしていた。マルチのヘッドをクリーニングし、テープをセット、信号を送り録音調整OK! 各回線、異常なし逆リハ(※3)のためトリのバンドがステージに、、、さあ! いよいよサウンドチェックだ、こっちも忙しくなるぞ。
      
※1 ライブ録音する場合にPA用と録音用にマルチボックスで回線をパラって分ける   こと、ヘッド分岐とも言う。

 

※2 2トラック2チャンネルのマスターレコーダーにMIXしながら録音すること。つまり録音とMIXを同時に行って後はテープ編集位でマスターテープになる私の好きな方法。当時はアナログマスターである
※3 出演者が複数に渡る場合、本番での最後の演奏者からリハーサルを始め、トップの演奏者が最後にリハをする。 とても合理的な方法なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

音響工房アナログ式  http://analogmode.jimdo.com

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