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2005年7月 9日 (土)

エンジニアへの道 その1

(薄明の彷徨)

■自分の「何が」ものづくりに駆り立てるのかと考える。■祖父は代々続く江戸の筆職人だった。筆の軸に文字を彫り入れる細かい仕事を専門とし、京都の老舗にも卸していたが、東京大空襲で廃業に追い込まれた。昨年他界した父は大学で建築を学び、戦後、電力会社の技師になった。■自分は生物学者を志したが大学受験に2度失敗し、もともと得意としていた美術の専門学校に進んだ。在学中は4000枚の原画を使ったアニメーションを作ったり、シルクスクリーン、油絵など色々なものに手を出したが、バンド活動(歌+A.G担当)の方が忙しいような生活だった。卒業後は大手デザイン事務所に就職し、シルクスクリーンを担当した。しかしここでもバンド活動に明け暮れ、気がついたら会社に辞表を出し、紆余曲折の末に赤スタ(赤坂ミュージックスタジオ)に拾われ、それが結局はいまの自分につながっていく。もし受験に成功していたら全く違った人生を歩んだのだろうか。人生の答えは死ぬまでわからない。

■民生用の4トラックMTRがTEACとSONYから出たばかりの会社員当時は、現在のようなアマチュア向けの録音スタジオはなかった。30年前で約25万円した1/4インチ・アナログのTEAC3340Sをバンドの共有財産として購入(重さ30K位)。3340はSYNC録音可能だがパンチイン・アウトはしなかった。更に2トラ38の3300を、私の安月給をつぎ込んで手に入れた(約15万)。あとは安マイク7,8本を持ち寄り、6CHミキサーはベース担当が調達し、4chミキサーは会社に内緒でやった録音のバイトで稼いだ4万円を投入。マイクスタンドは角材とベニヤ板の手製であった。■オリジナル曲がたまったので、デモテープを録るために富士五湖の西湖にあるロッジを10日間借りた。シーズンオフで1泊3食付き3千円。この録音のために会社も辞めていた。音楽が好きだという確信以外に何があっただろう。■西湖に着いた時は、まだ夜明け前だった。

(つづく)

音響工房アナログ式  http://analogmode.jimdo.com

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